クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出などの「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くありそうです。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「シェフをささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、食のプロならではのヨーグルトの意外な使い方や魅力を語ってもらいます。
連載第6回は、イタリアンレストラン「フィオッキ」のオーナーシェフ、堀川亮さんです。
修業したイタリア・ピエモンテ州を中心にした北イタリアの伝統料理をベースに、日本各地の食材を使いながら繊細で複雑な味わいで食べる人を驚かせる堀川さんは、イタリア料理ではあまり使われないヨーグルトを味わいや食感のつなぎ役として多用しているそうです。「知っている食材だからこそ、食べる人に驚きを与えられる」という堀川さんは、ヨーグルトを食べ手との「環境づくり」に使いやすい食材だといいます。
街と店の関係は重要、選択肢の多さが街の豊かさになる
小田急線祖師谷大蔵駅(東京)北口から続く商店街は、ひと昔前なら日本のどこにでもあったような商店や飲食店がならんでいます。懐かしい思いで通りを歩いていくと、一軒家のイタリアンレストランが現れます。祖師谷生まれのシェフ、堀川亮さんが2000年に開いた「フィオッキ」です。
「地元に店を出したいというのは、修業時代から漠然とありました。25歳でイタリアに行って地域に根づいたリストランテ(イタリアの高級レストラン)を見てきて、やっぱり地元で出したいと思い、28歳でフィオッキをオープンしたんです」
インターネットによって簡単に遠くの情報を得られるようになりました。今でこそ郊外のリストランテにも人が集まるようになりましたが、フィオッキのオープン当時はインターネット黎明期。イタリアのリストランテ文化自体もまだまだ知られていないなか、都心ではなく郊外に店を出すのは大きな挑戦でした。
「街と店の関係はすごく重要だと思っています。僕自身は、記念日に使えるような高級店から日常使いできる低価格帯の店まで選択肢が多いことが街にとっての豊かさになると思っているんです。しかも安い店ばかりだと高い店がなかなかできづらくなるんですよ。だから街のためにも地域でいちばん高い店にしようと思って始めました。そのため最初は、うちより高い店ができるのは嫌だったくらい(笑)。フィオッキは、今でも地域で一番高い店です」
2014年にフィオッキが1階に入る建物の2階が空いたのをきっかけにオープンした姉妹店で、イタリアの郷土料理に特化しアラカルトで提供する「ズッペリア・オステリア・ピティリアーノ」を開いたのも、祖師谷の街にイタリア料理の選択肢を増やしたいという思いがあったといいます。
堀川さんに「ささえるもの」が何かと聞くと「環境」と答えたのは、イタリア料理が育まれた環境や、料理人にとってももっとも大切な食材が育つ環境などにささえられているのはもちろん、街に積極的に関わることでささえてくれる環境を自らつくっていくことでもあるのです。
お客様との関係のなかから得た価値観
「自分にとって近い環境であればあるほど、積極的に関わることでよい環境をつくることができると思います」という堀川さんは、生産者との環境づくりも熱心に行うことのひとつです。
「自分の仕事とフィーリングがあう方々と濃いお付きあいをしたいと思っています。もちろんビジネスの関係なのでお金が関わってきますが、お金はお互いが信用しあったうえでの結果。その向こうにある価値観が共有できたらいいんです」
堀川さんにとってフィーリングがあう生産者は「小回りが利く人」だといいます。たとえば熊本・天草の魚屋は、魚を送る際に入れる氷の量まで気を配り、届いてどうだったかを堀川さんに聞いてきます。魚の締め方を変えれば、ふたたび感想を聞きたいと連絡がくる。発送して終わりではなく届いたあとのことまで気にかける、小さな積み重ねをおろそかにしないという意味での「小回りが利く人」です。
そしてフィーリングがあう生産者に会いにいくことも大事です。堀川さんは、料理人仲間や店のスタッフを誘って頻繁に産地に出かけています。産地を見ることで生産現場の環境や、生産者自身が大事にしていること、さらには地域の暮らしぶりをみることで普段使っている食材をより深く知ることができます。
「最近はとくに日本をまわるようにしています。もちろん円高で海外に行きにくいというのもあるのですが(笑)。お客様は、イタリアの珍しい食材や食べたことがない郷土料理ではなく、日本のことの方を興味深く聞いてくださるようになったと感じています。日本にあるすばらしい食材をもっと使っていきたいと思うようになったのも、そんなお客様との関係のなかから生まれたものです」
「産地でお話しを聞きながら『この話はお客様に喜んでもらえそう』なんて考えています」と笑う堀川さん。頑なにスタイルを変えず己の料理を突き詰めていく料理人も素晴らしいですが、堀川さんのようにお客様の反応を見ながら店のスタイルを少しずつ変えていく料理人もまた素晴らしい存在です。そんな環境から生まれる堀川さんの料理には、イタリアの郷土料理を芯にしながらモダン(現代性)を感じるのです。
みんなが知っているヨーグルトだからこそ伝わりやすい
フィオッキの初秋のおまかせコースのアミューズ(前菜)は、ホタテと焼きナスのカクテルです。低温で火を入れたホタテと焼きナス、サッとゆでたオクラ、ツルムラサキといった野菜に、ホタテのひものピュレと、ホタテのゆで汁を煮詰めたものにヨーグルトを加えたソースをかけ、ブルーベリー、ハーブ香りを加えたサブレ、粗く刻んだカカオをふりかけてあります(下3枚目の写真)。
小さなカクテルグラスに盛り付けられたたくさんの食材たちは、味わいや香りは重なりあって全体は一つになっているのに、注意深く味覚や嗅覚を働かせると、一つひとつの食材の個性がしっかりと感じられる。そんな絶妙なバランスで成りたつカクテルをささえているのがソースに使われているヨーグルトです。
「ヨーグルトは、料理の味を薄めずに全体をまとめてくれます」と堀川さん。ヨーグルト自体は、強いテイストの素材なので全体を支配しないように入れる量を調整しているといいます。
「たくさんの素材を使った大きな構成を小さくまとめるのがレストランの料理。たとえば、大きな船に積んでいた荷物を小船に移すとバランスよく積むのが難しいですよね。それにちょっとでも運転が粗くなると暴れて船が沈んでしまうので操作が繊細になります。レストランの料理も同じで、小さくするからこそバランスが繊細になるんです。そんなときヨーグルトは、繊細なもの同士の味や食感を繋いでくれるんです」
さらに最初のひと品ですから、ワインはシャンパーニュを合わせる仕立てを考えます。シャンパーニュは、酸味が強いリンゴ酸をやわらかい酸味の乳酸に変換するマロラティック発酵が行われることが多く、同じく乳酸の酸味をもつヨーグルトとの相性がよいのも選んだ理由のひとつです。
「それにヨーグルトは、みんなが知っている食材なので味が想像しやすいですよね。お料理を説明するときにピンとこない食材を使うよりも興味をもってもらえますし、味も気づきやすい。隠し味として使っていますが、とても伝わりやすい食材なので、お客様と店の関係、つまり良い環境をつくる食材でもありますね」
共通言語のような存在のヨーグルト
一方で、ヨーグルトを大量に使うことにとらわれ過ぎてはいけないと堀川さんはいいます。日常的に家庭の冷蔵庫に必ずあるものなのだから、隠し味で味噌を少量入れるような「ちょっと使い」できる食材や調味料として考えるといいでしょう。
味わいとしては酸味とコク、発酵食品特有の時間による変化があるほか、水を加えて飲むヨーグルトにしたり、ペーパーをしいたザルにあけて水切りヨーグルトを作ったりと粘度をコントロールできるのもヨーグルトのおもしろさで、新しい料理を創造していける存在として十分価値があるといいます。
「ほかにも、あまり知られていませんが魚の臭みを消してくれるんです。ヨーグルトを鍋に入れて火にかければリコッタチーズ風のホワホワとした料理にもなったり。あとはヨーグルトマヨネーズもおすすめです」
ヨーグルトマヨネーズは、水切りヨーグルトに同量のオリーブオイルと塩を加えて混ぜて乳化させるだけで簡単にできます。卵を使わずに、通常のマヨネーズに比べてオイルも少量ですむので軽やかでさっぱりとしてヘルシー。「ぜひ試してほしい」と堀川さんも強く勧めるヨーグルトメニューです。
お互いがよく知っていることだからこそ、理解しやすく伝わりやすい。共通言語のような存在であるヨーグルトは、さまざまな人を繋いでよい食事の場をつくる。まさによい食の環境づくりにもベストな食材なのです。