クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出などの「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くありそうです。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「ささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、食のプロならではのヨーグルトの意外な使い方や魅力を語ってもらいます。
連載第3回は、南インド料理専門店「エリックサウス」でメニュー開発を担当する料理人であり、作家としても活躍する稲田俊輔さんです。
日本人の多くが「ギョッ」とするご飯に漬け物とヨーグルトを混ぜた「ヨーグルトご飯」をエリックサウスで推奨し続ける稲田さんは、自身を「価値観が偏っているから世の中の見え方がおかしい」といい、だからこそ周囲の理解に支えられ、なんとか社会の役に立てているといいます。
その一方で「我々はゾンビのように仲間を増やしていく生き方しかできない」と、独特の表現で、ヨーグルト仲間にメッセージを寄せてくれました。
ご飯にヨーグルトの衝撃。お茶漬けと考えれば理解できた
東京・神宮前の「エリックサウスマサラダイナー」の各テーブルには、メニューとともにA4サイズの「ミールスの楽しい食べ方」と書かれた説明書が置かれています。野菜料理中心の南インド式スパイス定食である「ミールス」をはじめて食べる人でもまよわないように、表面にイラストで説明しています。
そして裏返してみるとぎっしりと文字が書かれているのに圧倒されます。文字数は2500文字。ちょっとしたエッセイの文字量です。[カレーのかけ方][パパドの扱いとカトリの引越し][ミールスの混ぜ方]といった項目があるなかに[ヨーグルトの扱いとミールスの締め方]がわざわざ立項されていることに、ヨーグルト好きなら目がいくことでしょう。
「ミールスにおいてヨーグルトは最重要アイテムのひとつです。」という一文からはじまる説明文は、ヨーグルトをご飯に混ぜてお茶漬けのように食べることを「きれいな締め方」として紹介しています。
「インドでは、ご飯にヨーグルトと辛くて酸っぱいお漬物を混ぜて食べる。カレーにヨーグルトは、カレー好きの方々は聞いたことがある組み合わせですが、カレーではなくご飯にかけるわけです。このことを最初に聞いたとき、自分はギョッとしました。多分ほとんどの日本人はギョッとすると思うんです。でもやってみたらおいしいんですよ。それは日本人が、ご飯に梅干しやお漬物をのせて番茶かけるお茶漬けと完全に同じ感覚だと思ったんです」
ヨーグルトは、乳製品ならではのコクがあるとともに、独特のさわやかな酸味が特徴だと稲田さん。この酸味は、野菜と塩で漬けたぬか漬けなど日本の漬け物と同じ乳酸発酵によるもの。韓国のキムチも同様です。漬け物とヨーグルトが似ていると考え、構造がお茶漬けに似ていることに気づくと途端に受け入れやすくなります。さらに「単に酸っぱいだけじゃない、もう一つ深いレイヤーの広がりがあるのが魅力です」と稲田さんはいいます。
「実際インドでもひと通りごちそうを食べた最後の締めに、ヨーグルトご飯とお漬物で食事を締めるんです。そう腑に落ちたことで、もう完全に自分にとってそれは手放せない、欠かせないヨーグルトご飯という料理になりました」
普段の生活でも、納豆にヨーグルトを加えて混ぜてご飯にかけるのがお気に入りだという稲田さん。「納豆に漬け物やキムチを入れる感覚です」といわれると、なるほど試してみたくなるのは、稲田さんの真骨頂といえる巧みな語り口によるものです。
先駆者がきちんと言語化して物語として伝える
エリックサウスで南インド料理の醍醐味といえるヨーグルトご飯を楽しんでもらおうと、ミールスに組みこんだヨーグルトですが、残念なことにまるまる残って戻ってくることもあります。「デザートだと思いこんで、最後に食べたら甘くなくてがっかりした」という人もいるだろうと稲田さんはいいます。
「こうした機会を減らすため、たとえばインド人たちが営むインド料理店では、そもそもヨーグルトではなく、本場ではぜったいに出さないサラダをつけて『不幸な出会い』を回避する方法を採る店がじつは多いんです」
エリックサウスの各店でも当初は、ヨーグルトとサラダを選べた時期があります。しかし、途中からサラダを選択から外し、ヨーグルトが必ずつくようにしました。「もう問答無用ですよ。よっぽど嫌な人は言ってくださいと。だったらしぶしぶ変えますっていうスタンスです」と稲田さんは、経緯を話してくれます。
しかし客の反応は好意的。まれにSNSで「昔はサラダが選べた」という意見があるくらい。現在では客のほとんどが当たり前のようにヨーグルトにご飯をかけて食べています。「自慢じゃないですが、うちの店はご飯にヨーグルトかけて漬物を食べるという国内での普及に相当貢献していると思っています」と笑う。
そもそも「インド料理といえばカレー。カレーは、ルーとライス」という強い固定観念がある日本で、ミールスや、インド風の炊き込みご飯であるビリアニを定着させるなどしてきた稲田さんは、ヨーグルトライスに限らず、粘り強く南インド料理の良い部分を変えることなく伝え続けてきました。
とはいえ、日本向けにローカライズしていくことがビジネスとしては「正解」といえるなかで、南インド料理の有様を、あえて長い文章を用いてまでそのまま伝えようとするのでしょうか。
「それは、ヨーグルトご飯にぎょっとしながらも比較的すぐに受け入れられたのは、その前にインド料理研究家の渡辺玲(あきら)さんの本に、日本人はギョッとするかもしれないが、一度のおいしさを知ったらやめられないのだ、みたいなことがきちんと言語化されてたんです。それがなければ拒絶したかもしれません」
先駆者がストーリーとしてヨーグルトの楽しみ方を紹介してくれていたからこそヨーグルトご飯という南インド料理の味を享受することができた。稲田さん自身が、ヨーグルトのみならず、インド料理のさまざまな文化を伝えるために、わざわざ長文をしたためるのは、「今度は自分の番だ」と感じているからです。
フードサイコパスはゾンビ映画のゾンビである
「ヨーグルトは甘くして食べるもの」という考えが根強い多くの日本に「調味料としてのヨーグルト」の文化を根付かせた稲田さん。最近、大手コンビニエンスストアでエリックサウスとコラボレーションしたビリヤニ弁当の監修をしたところ、「せっかくだから一緒にヨーグルトを買ってきた」という人がSNSに多く見られたのはその成果の一つです。
「本物のインドカレー好きの仲間たちが増えてきましたね」と稲田さんは笑いながら、「ゾンビ映画のように仲間を増やしている自分は、フードサイコパスだとつねづね思っているんです」といいます。
フードサイコパスは、稲田さんが提唱する概念で、「全ての(善意に基づく)食べ物を可能な限りポジティブに受け入れよう、という理念の具体化」と定義しています。その概念に気づいたのは、稲田さんが、食への嗜好が似た友人たちと話をしていたときのことでした。
外国料理のレストランが日本にできたら、現地の味をそのまま出してくれればいいと思っている稲田さんたちは、あまりに当たり前すぎ、そのことをわざわざいい合うことはありません。なぜなら、仲間同士の暗黙の了解だからです。しかし世の中では、それは限りなく少数派。ほとんどの人たちは、本場っていう言葉をなんとなく喜びつつも、ちゃんと日本人に食べやすくアレンジしてほしいって思ってる人が、ほとんどなのだという話になりました。
「そして我々は、ほとんどの人たちが、なぜそんなことを思うのかがわからない。そういう人がいることを知識として知っていても、感覚としてはわかっていません。ある種のサイコパスであるわけです。しかし、それを認識しないまま社会の中で生きていくと、いろいろな悲劇を生み出してしまう。それを自分たちはぜったいに起こしてはいけない。フードサイコパスであるという自覚をしっかりもとうという話をしたんです」
ゾンビはなんのために人を襲うのか。それは、世界を自分たちが生きやすい世界にするためではないかと稲田さんはいいます。同じようにフードサイコパスが仲間を増やすと、外国料理店も日本人客に忖度しようと考える店が減り、現地そのままの料理が食べられるようになります。ゾンビにとっての理想郷を目指してゾンビが人を襲うように、フードサイコパスたちも、理想郷を求めて「各国の文化を宿した料理はこんなに素晴らしい」「こう考えて、こう食べたら、こんなにおいしい」を伝染させていくのがフードサイコパス的な食の楽しみ方なのです。
「それを受け入れるかどうかはまた別の話。ほとんどはスルーされるかもしれませんが、一部そこで興味を持ってもらって、真似してもらったら、それはもう確実に豊かになると思っています。『ヨーグルトをご飯にかける』ということを辛抱強く続け仲間を増やせたのは、価値を多様にするみたいな意味でも貢献してるんじゃないかと思っています」
経営者としてはポンコツ、まわりに支えられた
稲田さんは、現在東京や大阪、名古屋に10店舗を展開するエリックサウスのほか、日本料理店や居酒屋なども経営する円相フードサービスでメニュー開発を担当しています。専務取締役という役職をもちながらエリックサウスでは、マーケティングを無視したフードサイコパス経営者としてある種自由に活躍できているのは、同社代表取締役の武藤洋照氏を含めた周りのスタッフに支えられ続けているからだといいます。
「これは、謙遜でもなんでもなく、僕は経営者として完全にポンコツなんです。もういろんな管理がずさんだし、価値観が偏っているから世の中の見え方がおかしい。計画性もなくて行き当たりばったりで、人付き合いはできないみたいな。その自分ができない部分を社長の武藤が全部引き受けてくれているんです」
料理人になる前の会社員時代に知りあった武藤氏は、1997年に円相グループの最初の店を岐阜に出す際に、「理想の店をつくりたいから最初だけでも手伝ってほしい」と稲田さんに声をかけたのが入社のきっかけです。「料理の腕は自分より上」と稲田さんがいうほど、料理人としてのキャリアは、武藤氏の方が断然上であるにもかかわらず、最初から料理を稲田さんに一任し、武藤氏は経営に専念するような関係でした。
「経営に専念というと聞こえはいいですが、小さな会社の社長ですから、経理も人事も営業も、システム管理も交渉事も人付き合いも全部やらなきゃいけないわけですよ。料理以外の名もなき雑用をすべて引き受けて、残りを自分に任せてくれた。しかもまったく口を出さない。当時は、『ラッキー、面倒くさいこともしなくて料理に専念できる』ぐらいにしか思ってなかったけど後で考えると、武藤がいなかったらフードサイコパスなんていってられなかったと思います」
グループが成長していくにつれ、各店の店長やエリアマネージャーなどの管理職が生まれると、彼・彼女たちにもまた助けられます。稲田さんがメニューや店としてのあり方の理想を提言するなかスタッフたちは、現実的に可能であるかという判断した上で挑戦していきます。逆に、スタッフから現実化する上でのアイディアもあがってくることもあります。
「人は誰でも不完全なものであり、特に自分はそれがいびつだという自覚もあるので、何かそこを埋めてくれる周りの人たちには感謝しかありません。その代わりに自分は、いびつだからこそ、多分ちょっと変わったものをドロップできる可能性がある。口幅ったいようですが、変わり者の自分が変わったものをドロップすることを周りはちょっと楽しみにしてくれてるのかなとも思っています」
「だからこそ、利用価値のある人間でいたい」と稲田さん。さらにここ数年で新しい支える存在が増えたともいいます。執筆業を支える編集者です。興味の赴くまま書いてきた稲田さんの執筆業に対して、編集者たちは「社会にとって面白いものだけをピックアップして形を整えてくれる」だけでなく、一人では刊行まで辿りつけないところを、最後まで併走してくれるかけがえのない存在であるといいます。
「自分は『人の気持ちがわからない』と思ってるんですが、変なところに気づく敏感さは、あるような気はしてます。そういう気がしているだけで勘違いかもしれませんけど(笑)」
たとえばシーザードレッシングのベースに使われるヨーグルト、ケーキの生地にサワークリームの代用として入っているヨーグルト、カルボナーラをリッチに仕上げる隠し味にもなるヨーグルト――。その存在を隠して支えているようでいながら、じつはグイグイリードまでしているヨーグルトの存在は、まるで稲田さんを支える人々のようだといいます。
「自分ができないことをしてる人、なおかつ、その自分ができないことをその人が知ってくれてるおかげで自分が恩恵を受けるっていうことに関しては、自分はものすごく敏感です。ゾンビに『人間は臭いのが嫌いだから風呂入れよ』といってくれる存在ですね(笑)」
みんなのヨーグルトアカデミーに参加しているみなさんも、もしかしたらヨーグルトゾンビなのかもしれません。それを自覚しながら、虎視眈々と深いヨーグルト愛をもって仲間を増やしていきましょう。