クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出など「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くありそうです。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「ささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、食のプロならではのヨーグルトの意外な使い方や魅力を語ってもらいます。
連載第11回は、東京・日本橋室町にあるモダンフレンチレストラン「ラ・ボンヌ・ターブル(LA BONNE TABLE)」のシェフ、中村和成さんです。2023年12月には監修する「ル・ビストロ・デ・ブル(le bistrot des bleus)」が東京・広尾にオープンするなどレストランシェフとして活躍する一方で、それを上回るほどの勢いで自身のSNSの更新や調理動画サイトに登場し、家庭向けのレシピの提案も行っています。
その姿は、レストランの中に籠ってストイックに料理を極めようとするこれまでのシェフたちとは異なって見えます。キッチンを飛び出した新時代のシェフを実践する中村さんを支えるのは、その活動を応援してくれる「仲間」だといいます。
インターネットには10億人のお客様がいらっしゃる
自身のYouTubeチャンネル「KAZ PEANUTS【中村和成】」の登録数は3.45万、Instagramのフォロワー数も1.1万(ともに2024年2月22日時点)と、レストランシェフのなかで抜群のインフルエンス力をもつ「ラ・ボンヌ・ターブル」のシェフ、中村和成さんが、SNSや動画の分野に力を入れるようになったのは、コロナ禍をきっかけに料理人の声を多くの人に届けたいという思いからでした。
「それまで高価格帯のレストランのシェフやそこに通う食通の方々が使っていたSNSはFacebookが中心でした。そのなかでコロナ禍になって著名なシェフや食通の方が発信し、危機に瀕しているレストランを思い相互に助け合うような関係は素晴らしいと思いました。一方で、Facebook特有の閉じられたコミュニティのなかでは広く世間に届いていないことも感じました」
レストラン側からポジティブな発信をしても、世間に届かなければ身内で励ましあいに過ぎないのではないか――。どこか矛盾のようなものを感じた中村さんは、Instagramのライブ配信(インスタライブ)で広く一般に向けて発信をしていこうと決意します。最初の配信は、ラ・ボンヌ・ターブルが週末の営業を休むことになった2020年3月27日、トマトソースのスパゲティをつくる30分の配信でした。
「お店を休めば料理人は何もすることがなくなるんです。何もすることがないということは、世の中に立ち向かうこともできないということ。料理人としてできることは何かと考えたときに思い立ったのがレシピ配信でした。思いついた次の日にはやっていましたよ(笑)」
初めての試みでやり方もわからず手探りのなかでの配信でしたが、終了後にはフォロワー数が増えます。可能性を感じた中村さんは、それから2カ月間ほど毎日のように配信を続けました。
「レストランのシェフの仕事は、お店に来ていただいたお客様に最大限に喜んでいただいてリピートしていただくことです。しかし、それでは1回の営業で30人ほどのお客様が限界です。それがインターネットの世界になると1億人や10億人のお客様が画面の向こうにいます。その可能性があるツールを使わない手はない。そして料理人という素晴らしい職業の魅力をたくさんの人に伝えたい、むしろこのピンチの時期こそチャンスなのではないか。そんなことに気づいたのは大きなことでした」
社長からは怒られるどころか「やりすぎじゃない?」と心配された
現在中村さんは、家庭向けのレシピ動画サイト「クラシル」やプロ向けのマルチメディア「料理王国」などが制作する動画にレシピ考案・調理実演シェフとして登場しています。これまであった高価格帯の料理人のイメージを刷新するようなユーモアあふれる振る舞いでファンを増やし続けています。
「『会社(ラ・ボンヌ・ターブルを運営する株式会社CITABRIA)からの許可は得てるんですか?』とよく聞かれるんですが、どれも勝手に始めているんです。社長の石田(聡氏)からは、インスタライブを始めて少し経ってから連絡がありましたけど、『毎日はやりすぎじゃない?』というアドバイスだけでした(笑)」
コロナ禍も明けてレストランに人が戻ってきた今でも、おもに店の閉店後に配信しているインスタライブや、中村さん自身で撮影・編集を行っているYouTube動画に配信も継続しており「いつ寝ているんですか?」と心配になります。しかし中村さんは「実は、レストランの仕事だけだった頃の方が忙しかったかもしれません」と意外な事実を打ち明けます。
「当時は、目の前にある仕事は自分にしかできないと信じ込んでいたんです。肉も魚も自分でやった方がいい。主役は自分で、自分の美意識を表現するのがシェフだと思っていました。営業が終わっても毎日残って気が済むまで掃除したりしていましたよ(笑)。それで満足していた時は気づかなかったのですが、お店は前に進んでいるようで、ほとんど何も変わっていない、進化していないことに気づいたんです。それはまずいと思い、自分は自分にしかできないことをして、他のことは仲間に頼むことを意識するようになったんです」
厨房での調理はもちろん、以前では発注や在庫管理などシェフの仕事として行っていた事務仕事をスタッフに分散して担当させ、自分自身はチェックする立場になるようにしました。
実際、数字に慣れさせることは、将来独立希望をもつ若い料理人やサービススタッフにとっては大きな経験にもなります。そうして毎日していた事務仕事は、1カ月で15分ほどになり、その空いた時間で自分にしかできないメディア出演や動画制作の時間に充てているといいます。
「今では、動画を見てくださった方が北海道や九州などから来ていただくようになりました。コロナ禍以前では考えられなかったことです」と中村さん。キッチン以外の仕事が増えたから意識が変わったのか、それとも意識が変わったからキッチン以外の仕事が増えたのか。どちらが先というよりは、両方が同時に起こったことで中村さんは、時代を代表するシェフになったのです。
レシピ制作時の代替食材として優秀な「ヨーグルト」
インスタライブや動画メディアで考案している中村さんのレシピは、おもに家庭向けのもので、難しい調理を省くほか、手に入りにくい食材をできるだけ使わないなど、レストランで考える料理とは違ったアプローチが必要になります。
「動画では、見てつくれるだけでなく完全に再現できるように導く必要もあります。始めた頃は、そこが難しかったです。そのため自分のレシピをみてつくった料理の画像がSNSにアップされているのを見ては、『どこで失敗したんだろう』と推測しながら失敗しにくいレシピを考えることもしていました」
また手に入りにくい食材に対する代替食材を用意しておくことの重要性も実感します。たとえば、サワークリームを使ったレシピをつくった場合、「サワークリームがない場合はどうしたらいいですか?」という質問が来ることが予測されます。その場合は、「味はやや変わりますが」と前置きしたうえで水切りヨーグルトでも代用できることを伝えます。
「そういった視聴者の方とのやり取りをしていくなかで家庭向けのレシピの考え方を学んでいきました。その中で気づいたのは、ヨーグルトの万能性。ご家庭の冷蔵庫のなかにある確率が高いこともあって代替食材として紹介しやすいんです。そしてなにより自分で試作をするときもコンビニで手軽に買える。登場頻度が上がったと思います(笑)」
さらに中村さんは、レストラン営業でもヨーグルトを多用しています。とくにお気に入りなのが、宮城県大崎市に本社をもつ「新澤醸造店」の「超濃厚ヨーグルト酒」です。ジャージー牛の生乳100%使用したヨーグルトと日本酒で仕込んだリキュールで、甘味と酸味のバランスよく手を加えたくないおいしさであることから、そのままアイスにしてラ・ボンヌ・ターブルやル・ビストロ・デ・ブルで提供しているといいます。
加えて姉妹店で東京・西麻布にある「サイタブリア・バー(CITABRIA Bar)」のフードメニューの監修も行う中村さんは、水切りヨーグルトに紫タマネギなどの刻んだ香味野菜を混ぜ合わせたディップをポテトフライにつけるなど、軽食にもヨーグルトを活用しています。
「料理人がもつ知識は、もっと世の中の役に立てると思っています。3万円や5万円のコース料理がつくれるだけでなく、300円の料理も同じようにおいしくつくれる。価格によって上下がない。値段に関わらず知識と経験でおいしくできるのが料理人だと思っています。その知恵や経験をレストランのなかだけでなく、幅広い外食の場で体験していただくのと同じように、ご家庭にも伝えていくべきだと思っています」
「朝のデザート」をあえて「夜の食事」でブランディングしてみる
「最近ブームの兆しが見える中東料理でもヨーグルトは多用されています。焦げ目を付けるように焼いた野菜は、スパイスやハーブに酸味とコクがあるヨーグルトを合わせると相性がいい。単に酸味があるだけでなくて、発酵した食材特有の他の食材と合わせたときに味わいの奥に広がっていくような感じがぴったりだと思います」
「この乳酸由来の酸味を利用するイメージをもつと家庭でも使いやすいですよ」と中村さん。たとえばヨーグルトにチューブ入りのショウガ、塩・オリーブオイルを合わせるだけで、魚のカルパッチョや野菜のドレッシングになります。「遊び心を受け止めてくれる食材なので、なんでも寄り添ってくれますよ」と中村さんは、ヨーグルトに全幅の信頼を寄せています。
「そういう点では、ヨーグルトはどんな時でも受け止めてくれる『仲間』だと思います。珍しい食材を入れても代替食材としてヨーグルトが控えてくれているから、レストランシェフならではの提案もできます」
一方で、日本の家庭でヨーグルトは「朝のデザート」として認識されることが多く、料理に使われることはあまりありません。ヨーグルトの魅力を伝える方法にどんなことを考えるとよいのでしょうか。
「SNSや動画で食のコンテンツの発信をして感じたのは、おいしさやヘルシーさといった旧来の価値に加えて『おもしろさ』をいかに加えていくかということです。これからの料理人は、おもしろくて安心・安全な料理をつくるのはもちろん、それをおもしろく届けていかなければいけないんです」
そのなかで中村さんがコンテンツ制作で考えていることは、ある食材がもつイメージを極限まで突き詰めるか、あえて真逆のことをするかだといいます。
「たとえば朝のイメージがあるヨーグルトなら朝5時にぴったりのメニューだったり、あえて深夜に食べるメニューを考えてみるといいと思います」
レストランと家庭の架け橋になっている中村さんは、ヨーグルトのどんな「おもしろさ」を引き出してくれるのでしょうか。これからの中村さんの発信が楽しみでなりません。