「あなたをささえるもの」というテーマで、ヨーグルト好きのシェフや料理人の仕事観に触れるインタビューシリーズの記念すべき第1回は、東京に6店舗の「ブリアンツァグループ」を展開するイタリアンシェフ、奥野義幸さんです。
奥野さんは、コロナ禍にも関わらず日本を飛び出しアメリカ・ロサンゼルスにTOKYO ITALIANをテーマにした大型レストラン「Magari Hollywood(マガーリ・ハリウッド)」を2022年2月に立ち上げたほか、翌年1月には、東京・八重洲にお米と飲茶をテーマにしたイタリアンレストラン「ASTERISCO(アステリスコ)」を次々にオープンさせて話題になりました。
日本だけでなく、世界を巡って吸収したことを自由自在に皿のうえに表現するシェフ、奥野義幸さんを「ささえるもの」とは。
英語とイタリア語、日本語、三言語を話せる珍しい料理人
「『わたしをささえるもの』は何ですか?」という問いかけを奥野さんにしたとき、人やモノといった実物があるものを回答するのではないかと予測していました。すると意外にも「語学」という答えが返ってきたのに驚かされたと同時に、「おぉ、そうか、なるほど」と納得もしました。
奥野さんは、アメリカの大学に4年間留学していたときに学んだ英語と、料理人としてイタリアで修業したときに覚えたイタリア語、そして母国語の日本語、三言語を話すことができる料理人です。
近年は、インターネットによって世界中の料理が繋がり、ジャンルの境目がないイノベーティブなレストランが増えてきています。それにともない料理人の修業先も、レストラン文化の本場フランスやイタリアといったヨーロッパだけでなく、新しい料理の発信地として注目されているアメリカやイギリス、オーストラリアなど英語圏で経験を積んで帰国する料理人も多くなってきました。
しかし奥野さんが修業時代を過ごした1990年代は、ヨーロッパで修業して語学も習得して帰ってくる料理人はいても、修業先の国の言葉以外に英語も話せる料理人はまだまだ少ない時代でした。
「もちろん、バイリンガルのように自在に話せるというわけではないんですよ。むしろ完璧に文法まで理解して語学を身につけたいというよりも、その語学を使って世界中のカルチャーを知りたい。そしてそのカルチャーをレストランで表現したいと思っているんです」と奥野さんはいいます。
イタリアの郷土料理を根底にもちながら、さまざまな国の文化を吸収し、ヨーグルトやスパイスなどの食材までも自由自在に取り入れた料理で、私たちに驚きと楽しさを与えてくれる。そんな奥野さんを支えているのが「語学」というのは、ごく自然なことだと感じたのです。
「イタリアではとにかく遊んでこい!」と言った恩師
奥野さんが初めて海外に行ったのは、高校3年生の9月でした。アメリカ中北部サウスダコタ州のスーフォールズという田舎町に、次の年から通う大学入学の準備のために訪れたといいます。
「もともと英語が好きで、故郷の和歌山市の高校では、英語の特進クラスで学んでいました。卒業後は、進学をせず就職しようと思っていたのは、なんというか、思春期真っ盛りで、とにかく家を出たかったから。当然、家族を含めてまわりは、反対して進学をすすめてきますよね。なかなか理解を得られないなかで、ただ一人当時の英語の先生だけが『家を出たいなら、アメリカに行ったら?』と言ってくれたんです。それなら物理的に家を出られるし、いいなと思ったんです」
スーフォールズの大学に4年間通った奥野さんは、卒業後帰国して就職。サラリーマンを経験したのち、24歳のときにイタリア料理の道へ。20代で料理修業のためイタリア・リグーリア州に渡ります。
「イタリアに渡る前に働いていた店のシェフから、『イタリアでは料理の勉強をしなくていい。ディスコに行ったり、オペラを観たり、とにかく遊んでこい。料理は、そういった国や地域の文化についてくるものなんだ』と言われていたんです。当時は、若いなりに理解していたつもりですが、今はそのときよりもさらに深く理解できます」
料理人なら海外の厨房に入れば多少言葉ができなくても仕事はできると、奥野さん。場所が変わったからといって、やるべきことは大きく変わらず、ボディーランゲージや大きな表情を示すことで仕事上のコミュニケーションはとれます。しかし、さらに一歩踏み込んで料理の意味を理解するためには、その人たちの文化的背景を理解することが必要で、そのためにも彼・彼女らが使う言語を理解することが大切なのです。
「最初のころは、厨房の同僚が言葉を教えてくれるんですが、そういう時って、だいたい卑猥な言葉とか、下品なスラングを教えるんですよ。小学生が喜ぶような(笑)。『教えた言葉を、マダムの前で言ってこい』なんて言ってゲラゲラ笑っている。僕もだいたい雰囲気で分かっているんですけど、そこでやらないでいると『おもしろくないやつ』なんて思われますから。それも含めてコミュニケーションだったと思うし、そこに入り込むということなんだと思います」
語学を学ぶことは、世界のカルチャーを学ぶこと
一方で、ロサンゼルスにオープンした「Magari Hollywood」では、厨房でカジュアルな英語を使いながらもシェフとして店に立てば、フォーマルな英語も同時に使っていかなければいけません。とくに一般客から、VIPまでさまざまなクラスのゲストに対して適切な言葉遣いをするためにも、アメリカの社会自体を理解する必要があります。
「そう考えるとレストランという空間は、カルチャーの塊だと思うんです。農業や宗教、政治や都市文化、言語、といった文化人類学と呼ばれる分野だけなく、地政学とも関係してきます。まだまだ階級社会の名残も色濃いです。そういったカルチャーを理解するのにも、やはり『語学』が必要なのだと実感しています」
悔やまれたのは、最初のアメリカ留学だったと奥野さん。大学に通って勉強はしたものの、アメリカのカルチャーまで学ぶことができなかったためです。そのため、ブリアンツァをオープンさせてからは、英語の勉強を改めて再開し、できる限りアメリカに渡り、カルチャーを吸収しようと努めているといいます。
「そうした世界で感じたことをブリアンツァでも取り入れていくことで、お客様に過ごしていただく心地よい時間につながっていくと思います」
イタリア料理の技法やレシピだけではなく、イタリアの文化を理解し、さらに得意の英語を使って世界の料理と文化をも取り入れていく。奥野さんが作るレストランが多くの人を魅了し続けるのは、多様な文化が積み重なることで生まれた「お互いを尊重するやさしさ」で溢れているからなのではないでしょうか。
ヨーグルトも料理もカルチャーの塊、ほかでは代替できない
「ヨーグルトを含む発酵乳の歴史は古いですし、世界各国に名前は違えどヨーグルトの親戚のようなものもあって、ヨーグルトもまたカルチャーの塊だと思います。歴史的に見ても、紀元前5000年以前には、すでに中近東で作られていたという人類との長い歴史があります。そしてラッキーなことにおいしい。これだけ永く人々に食べ続けられたことが、ヨーグルトの素晴らしさを証明していると思いませんか?」さらに料理人目線で食材として見た場合、朝食のメインメニューとしてヨーグルトを食べるだけではなく、独特の酸を活かして調味料のように使える魅力もあるといいます。
「考えてみると僕は、ヨーグルトの酸味が好きなんだと思います。イタリア料理では、ワインやヴィネガーなどの酸や、柑橘の酸など、さまざまな酸味を使います。酸味の使い方は、さまざまありますが、乳酸発酵したヨーグルトの酸味は、独特なんです。テクスチャーも含めて、替えがきかない酸味です。料理にヨーグルトを使い始めたのは、ここ数年のことですが、この代替がきかないヨーグルトにハマってしまいました。もうヨーグルトがないと困る。すっかり支えてもらっています」
ちなみに奥野さんのおすすめは、プレーンタイプのヨーグルトを水で割って液状にし、そこに炭酸ガスを注入して作ったヨーグルトドリンク。ヨーグルトを割る水は、たとえばローズウォーターや、ディルやセルフィーユなど香りを移したハーブウォーターなどにすれば、レストランのノンアルコールドリンクにも十分なるともいいます。
いつの間にか手放せない存在になったというヨーグルトは、まさに奥野さんにとっての「語学」と同じ、シェフの最大の武器になっているようです。世界各国のカルチャーが皿の上に共存する料理で奥野さんは、ますます私たちを楽しませてくれることでしょう。