クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出など「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くありそうです。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「シェフをささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、食のプロならではのヨーグルトの意外な使い方や魅力を語ってもらいます。
連載第7回は、東京・清澄白河にあるモダン・チャイニーズ「O2(オーツー)」のオーナーシェフ、大津光太郎さんです。
下町情緒溢れる清澄白河に大津さんが「O2」を開いたのは2018年のこと。中国料理店とは思えないスマートなスタイルの外観だけでなく、酸やハーブ、果物の甘味を多用した新しい中国料理(モダン・チャイニーズ)にナチュラルワインを合わせるという斬新なスタイルですぐさま人気店になりました。食べた人に新鮮な驚きをあたえる大津さんのクリエイティビティをささえるのは、「ニュートラルであること」だといいます。
伝統的な中国料理に“ご法度”だったヨーグルト
広大な中国大陸にある料理の数々を「中国料理」というひとつのイメージだけでくくることは不可能なことです。異なる気候風土やそこで育つ食材の違いを受け、辛みが特徴の「四川料理」やうま味を多用する「広東料理」、海に近い「上海料理」に内陸部の「北京料理」と地域でわかれていますが、もちろんもっとたくさんの料理が存在します。
「中国料理とは」と断定できない多様性が最大の魅力であるわけですが、一方でいくつかの共通点もあります。そのひとつに「乳製品をあまり使わない」ことがあるのは、少し意外に映るかもしれません。もちろんヨーグルトが伝統料理に使われることもほとんどありません。
「僕自身が中国のすべてを知っているわけではないので断定できませんが、少なくとも地域の伝統的な料理でヨーグルト、またはヨーグルトのような発酵乳製品を使っているのを見たことがありません。もちろん普段の生活のなかで日本のようにヨーグルトをそのまま食べることはありますよ」というのは、東京・清澄白河のモダン・チャイニーズ「O2(オーツー)」の大津光太郎さんです。
しかし「O2」では、たびたびヨーグルトを使った料理がコースのなかに登場します。たとえばナスと豚肉の甘じょっぱい四川料理のピリ辛煮込み「魚香茄子(ユイシャンチェズ)」にインスパイアされた魚料理。蒸した魚とナス、椎茸のソースにアクセントでヨーグルトを使った料理です。
試作で料理を構築していくなか、味わいの奥行きを出したいと考えた大津さんの頭に思い浮かんだのがヨーグルトでした。しかもそのアイディアの源泉は20年ほど前、東京・赤坂「トゥーランドット臥龍居」に入ったばかりの修業時代に食べた賄の味だったといいます。
「ある先輩が魚香茄子にヨーグルトをかけて出してくれたんですよ。だけど伝統から外れたアレンジですから、ほかの先輩たちからは『なんでそんなことするんだ!』って非難を受けていました。だけど僕一人だけすごく感動して。ヨーグルトを入れたらこんなに軽やかに食べられるんだという思い出の味だったんです」
その記憶を頼りにヨーグルトを入れてみると、ヨーグルトの酸とコクが見事に料理に奥行きを与え、完成度の高い一品になったといいます。以来、毎年ナスが旬を迎える時期のO2の定番料理になりました。
「これは中国料理ではない」と拒まずニュートラルに向き合う
大津さんは、「中国料理とはかけはなれた料理からインスピレーションを得ることが多い」といいます。たとえば、ヨーグルトとディルを使ったO2ならではのタルタルソースは、居酒屋で食べたメニューからインスピレーションを得たものです。
「4年程前に立石(東京)にある居酒屋『ブンカ堂』さんで、ぬか漬けのヨーグルト和えを食べたんです。これがすごくおいしくて。考えてみると乳酸発酵させたぬか漬けに、同じく乳酸発酵したヨーグルトですから合わないわけはない。そこで僕は『中華料理だったらどうするだろう?』と考えるわけです」
そして大津さんは、中国にある白菜を乳酸発酵させた「酸菜(スヮンツァイ)」を思いだしヨーグルトに合わせてみようと考えます。酸菜の強い酸をヨーグルトのやわらかい酸味が覆うことでバランスがとれます。ゆで卵とディルなどのハーブを合わせ、揚げ物にピッタリなO2オリジナルのタルタルソースが誕生したのです。
さまざまな記憶を臨機応変に取りだして料理をつくりあげる、大津さんのシェフとしての引き出しの多さに驚くともに、周囲が「伝統的な中国料理には入れるべきではない」と非難したヨーグルトとの組みあわせを素直に認めて感動した大津さんの料理人としての感性の豊さにも注目したいポイントです。
「人が考えたものをブラッシュアップしてるだけです」と大津さん。しかしそこには「これは中国料理ではないから」と拒むのではなく、ニュートラルな考え方で受けとめる大津さんならではの姿勢があるようです。
「魚香茄子の話でも先輩たちが怒っていた理由もわかるんですよ。僕たちは、ヌーベルシノワ(新しい中国料理)の先駆者である脇屋(友詞)シェフのもとで新しい中国料理をつくっていました。その一方で賄は、伝統的な中国料理をつくりなさいと指導されてきました。なぜなら伝統料理をそのままお店では出せないから。革新的な料理をつくるには、しっかりとした伝統料理のベースがないといけなくて、その修練ができる唯一の機会が賄だったのです。だからみんな怒ってたんです」
王道から創作の料理をつくることはできても、創作から王道の料理をつくることはできない。脇屋氏が提案する革新的な中国料理をつくりながらも、王道の料理の存在をつねに意識しつづける。トゥーランドット臥龍居で15年間みっちりと研鑽を積んだ後、大津さんは「O2」で独立を果たします。
「ここでしか食べられない料理」でないとリピートはない
「独立してから3年ぐらいで、自分らしい料理とは何かがわかるようになってきました」と、大津さん。中国料理の伝統的な技法を必ずひとつ使った上で、スパイスやフルーツ、ハーブの酸味や甘味と香りを活かした料理が自分の料理だといいます。
「それでも独立当初は、伝統的な中国料理をつくり続けた料理人と比べて、『自分は王道ではないんじゃないか』とコンプレックスがあったんです。直球で勝負できない、変化球しか投げられないのではないかと。ただお店をやってみて、お客様がリピートしたくなる料理ってなんだろうと考えたんです。どこでも食べられる酢豚ではなく、ここでしか食べられない料理でないといけないと思ったんです」
O2は、一連の流れを意識したコース料理でゲストを楽しませるレストランです。アラカルトでも注文はできますが、はじめて利用するならO2の世界観を体感できるコースの注文がおすすめです。それは大津さんが、ひと皿の料理の完成度はもちろん、前後の料理との関係を考慮した組み立てをし、さらに料理を出すタイミングや合わせるワインの提案まで細部にこだわった、O2でしか味わえない食の体感をすることができるからです。
「たとえば全10品あって、すべてが同じようなバランスの料理だと僕は疲れちゃうんです。たとえば最近流行っている発酵料理も、発酵のそれは発酵のうま味や酸が続くと疲れちゃう。それは発酵料理が悪いということではなく使い方だと思うんです。とくにアラカルトではなくコースのレストランですから、全体の流れのなかで緩急が必要。直球と変化球を交えていった方がいいと僕は思っています」
その変化球の場面でヨーグルトが重宝すると大津さん。コクと酸味はあるものの、食事後いうよりも調味料に近いヨーグルトは、コースの途中で落ち着かせたい場面で活躍するといいます。
「僕には『この食材はこう使わないといけない』という既成概念がないんです。そもそも、それが中国料理らしさでもあると思うんです。なぜなら中国南部はベトナムやタイと大陸で繋がっていて影響を与えあっているでしょうし、東南アジア的なハーブ使いをする料理もあります。そういういろんな食材にニュートラルな考えで接していられるのは脇屋さんの元で学んだことが大きかったと思います」
料理とデザート、両方で使えるヨーグルトのような調味料はほかにはない
独自の感性で料理を生みだす大津さんは「ヨーグルトは、食材よりも調味料の感覚で使っています」といいます。そのなかでもヨーグルトは料理でもデザートでも使える万能な存在です。
「たとえば醤油は、前菜にも使えるしスープにも使える。メイン料理にも使えますよね。だけどデザートでは使いにくい。しかしヨーグルトは、すべての料理に使えて、もちろんデザートにも使える。お肉などを漬け込むのにも使えますよね。食材でもあり調味料でもある、なんでもできる万能な存在だと思います。ですが、その万能なヨーグルトの側面を残念ながらみなさん知らないんです」
大津さんの頭の中にあるアイディアのひとつに、夏限定のヨーグルトを使った冷やし酸辣湯麺(スーラータンメン)があります。酸味と辛みが利いた酸辣湯に合わせるのは、万能なヨーグルトならではの使い方ですが、受け入れられにくいと大津さんは考えています。
「酸味の利いたカレーにヨーグルトを合わせると考えると味が想像できると思うのですが、麺にヨーグルトとなると多くの人にとって抵抗が生まれる。コースの麺類で選べるようにして少しずつ紹介していくなど、慎重にメニュー化していく必要があるんです」
実際、O2で人気のヨーグルトのタルタルソースは、フライとセットにしてテイクアウトメニューに加えていましたが、じつは注文があまりありませんでした。「中国料理を食べたいと思ってはじめて立ち寄られる方にとっては、味がイメージしにくいのだと思います。テイクアウトで注文が多いのは、シュウマイなど名前のある料理なんですよね」と、万能なヨーグルトの存在を知ってもらうには、提案するシーンを考える必要があるということです。
最後に大津さんが最近注目しているヨーグルトの使い方を聞くと、中東料理やインド料理の使い方だと答えてくれました。
「中東料理やインド料理にあるスパイスとヨーグルトの扱い方はおもしろいですよね。たとえば、インドのヨーグルトと野菜、スパイスなどを混ぜた『ライタ』は、スパイスで野菜をマリネするだけでは成立せず、ヨーグルトに野菜を入れただけでも成立しません。スパイスとヨーグルトが揃ってはじめて成立するのはおもしろく、その『スパイス×ヨーグルト』は、インドだけでなく中東料理でも頻繁にみる法則だといいます。いろいろ食べ歩きして勉強してみたいです」
「スパイス×ヨーグルト」を大津さんはどう解釈して中国料理に落とし込み、O2ならではの軽やかで華やかな料理として生みだしてくれるのでしょうか。今から楽しみです。