クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出など「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くありそうです。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「ささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、食のプロならではのヨーグルトの意外な使い方や魅力を語ってもらいます。
連載第9回は、東京・中目黒にあるフレンチレストラン「クラフタル」のシェフ、大土橋真也さんです。
メディアが中目黒特集を組めば「デートで訪れたいフレンチ」として必ず名前があがる「クラフタル」は、東京・恵比寿の「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」などで腕を磨いた実力派、大土橋さんがシェフを務めます。見た目だけでないフランス料理の芯をもった料理は同業仲間からも一目置かれています。伝統と革新を続ける現代フレンチのフロントランナーである大土橋さんをささえるものは「人との出会い・縁」だといいます。
「フランスに行ったらどうだ?」という友人のひと言でフランスへ
2011年3月11日、27歳の大土橋真也さんは、当時働いていた東京・恵比寿の「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」で東日本大震災に遭いました。それまで一心不乱にレストランで働いてきた大土橋さんにとって、レストランの存在自体が危ぶまれる状況になり、初めて今後の人生について悩んだといいます。
「朝から晩まで仕事だけに時間を使って、ほかのことを考える時間がなかったんです。本当にすべての時間を仕事に捧げていて、遅刻しないようにと朝出かける格好をして寝てるくらいでした。調理師専門学校を卒業して7年間、明日がいちばん大事な未来だった僕にとって、震災によって明日の営業がなくかもしれないという状況は、まったく考えもしないことでした」
不安ばかりが募っていくなか、ある日、調理師専門学校時代からの友人で料理人の吉田正也氏から連絡が入りました。職人気質の料理人である大土橋さんと、経営者の感覚をもつ料理人の吉田氏は、レストランに対する考え方が異なり意見が衝突することも多々あったといいますが、だからこそ大土橋さんは吉田氏を心から信頼する存在として尊敬をしていたといいます。
「フランスにいったらどうだ?」
ある種のライバルである吉田氏からのひと言に、それまでフランスに渡ることなど一度も考えたことがなかった大土橋さんは驚き、心を動かされます。2週間後にはフランス行きを決意。そして震災から1年後の2012年3月にパリに渡りました。
パリについた大土橋さんは、パリ在住経験のある吉田氏から聞いたお勧めの店を食べ歩きしながら就職先を探します。
「高級店から当時最先端の業態だった『ビストロノミー』まで、幅広い店に行きました」と大土橋さん。10軒ほどのパリのレストランを食べ歩き、最後に訪ねたのがパリ2区でシェフのスヴェン・シャルティエ(Sven CHARTIER)氏が2010年にオープンさせたビストロノミーの気鋭店「サチュルヌ(Saturne)」でした。そこで強い感銘を受けます。
たとえば仔羊の炭火焼に合せた羊のヨーグルト風ソースは、パン・ド・カンパーニュ(田舎パン)の切りくずと、羊乳を発酵させたヨーグルトのようなものを一緒に炊いてピューレ状にし、炭火焼の仔羊のソースにしていました。
「基本に忠実でロジカルでありながらも突き抜けている。また、パンくずですら大切にする姿勢は、当時まだサスティナブルなんて言葉が日本になく、食材を良い部分だけを使うグランメゾンしか知らなかった僕には考えられないことでした。それなのに、店内はハリウッドスターがお忍びで訪れてリラックスして過ごしている。グランメゾンで8年働いてきてもわからなかったリアルなパリがあったんです」
吉田氏がなぜ、サチュルヌを紹介してくれたのかはわかりません。それでも大土橋さんは、キッチンに籠りっきりで視野の狭かった自分に「もっとパリの現実を見ろ」ということを吉田氏は伝えたかったのではないかと当時を振りかえります。
金曜日のランチで食事をした大土橋さんは、すぐにサチュルヌで働きたいと直談判し、早速次の週の月曜から厨房に入ることになりました。
パリで得た料理人としての転機
サチュルヌでの仕事は、それまで大土橋さんがしてきた仕事とまったく異なりました。もちろん調理技術や知識は、8年間日本のグランメゾンで腕を磨いてきたので十分に通用するものでしたが、そもそものレストランの運営が違ったのです。
というのもサチュルヌでは、信頼を寄せる小規模生産者から直接食材を取り寄せて料理をつくります。しかも食材は、事前につくる料理を決めてから注文するのではなく、生産者が送るものを決めます。何がくるかわからないまま食材が届き、そこから料理を考えるのです。
「朝8時にトマトとズッキーニが300㎏届くんです。そうするとその日の食材は、トマトとナスとズッキーニしかない。それならその2つで4、5品の料理や付け合わせを営業までに考えなければいけないんです。月のメニューが決まっていて、毎日同じことを繰り返していたグランメゾンのスタイルとはまったく違う環境です。ひとつの食材を極限まで活用していく発想が鍛えられました」
さらに80席もあるサチュルヌでしたが、厨房はわずか7人でまわしていました。厨房に20人もいたグランメゾンとは、一人にかかる仕事の幅も大きくなります。3カ月経てばキッチンの古株になるほどの過酷といえる労働環境で大土橋さんは1年間働きつづけました。
また、日本人料理人との出会いも多かったと振りかえります。とくに2012年から2013年のパリでは、日本人料理人の活躍が顕著だった時期でもあります。すでに2011年には、佐藤伸一氏が「パサージュ53」で日本人シェフとして初めてミシュランガイドで二つ星を獲得していたほか、2012年には、後にフランスで日本人初の三つ星に輝く小林圭氏の「レストラン・ケイ」や、現在福岡を拠点に活躍している吉武広樹氏の「レストラン・ソラ」が一つ星を獲得していた時期です。
日本人料理人たちの熱気がパリを席巻していた時代に大土橋さんは、次の縁が生まれます。帰国後、スーシェフ(副料理長)として働くことになる「アニス」の清水将氏との出会いでした。
「清水シェフは、サチュルヌのスヴェンシェフと『アルページュ』時代に働いていました。じつはスヴェンシェフからも『ススムはすごいやつだ』と聞いていました。清水シェフは2013年8月に『アニス』をオープンする直前にパリにきていた時にお会いしたんです。しかも、その時にオープニングのソムリエとして一緒にパリにきていたのが、僕が初めて勤めた『ザ・ジョージアンクラブ』の元同僚だったという二重の縁もありました」
ワーキングホリデーのビザも切れるタイミングで帰国を考えていた大土橋は、アニスのオープニングスタッフとして入ることを決めて帰国します。アニスでは2年間清水氏のすぐそばでシェフとしての働き方を学びました。そして31歳になる2015年に大土橋さんは、いよいよシェフとして「クラフタル」をオープンさせたのです。
変化をおそれずに新しいことに向きあえる姿勢
「ベーシックを学んだ8年、パリで応用力をつけた1年、そして、シェフのあり方を学んだ2年でした。それぞれのタイミングで進路を導いてくれる人に出会い、気付いたら今があるような気がします」
じつはイタリアン志望だった大土橋さんをフレンチの道に導いたのも辻調理師専門学校のフランス校時代の恩師・肥田順氏でした。「良いものを見て、良いものを学んでから自分の人生にいかしなさい。東京で3年最高級のフランス料理店で働いてからイタリア料理に進めばいい」という助言がきっかけだったといいます。
「ありがたい出会いのなかで、フレンチで働くことやフランスに渡ることなど、自分のなかでは思ってもみない選択をしていくことになるのは不思議ですね」という大土橋さん。出会いを引きよせる本人の魅力もあるとともに、その出会いのなかで変化をおそれずに新しいことに向きあえる姿勢が、今の大土橋さんをつくっているように見えます。
「ヨーグルトという食材との出会いもじつは、同じ中目黒のイタリアン『カシーナ・カナミッラ』の岡野(健介)さんのお誘いがあったからなんです」と大土橋さんはいいます。ヨーグルトについて食材としての特徴を学んだり、食べ合わせの実験をしたりするプロジェクトにフランス料理人として参加したのが、ヨーグルトとの出会いのきっかけです。
とはいえ伝統的なフランス料理でヨーグルトを使うことはほとんどありませんでしたから、ヨーグルトを使うことに何か意味を見いだせるのか、大土橋さんは、半信半疑のままプロジェクトに参加します。しかし、結果的に新しい食材としてのヨーグルトの可能性を知ることになります。
「最初は、家庭でできるヨーグルトメニューを開発しようというような企画だと思っていたのですが、実際は『ヨーグルトをどう解釈しますか?』という問いから始まって、その答えを探していくというものでとても良い経験でした」
食材を多面的に見ることをヨーグルトから学んだ
そのプロジェクトのなかで改めて感じたのは「食材に対する複数の視点をもつこと」だったと大土橋さんはいいます。たとえば、野菜を使ったヨーグルト料理の課題で大土橋さんは、ヨーグルトの水羊羹をつくろうと考えました。白いんげん豆のペーストとヨーグルトを混ぜて、さらにヨーグルト菌を加えて再発酵によって固めた究極にやわらかいヨーグルトの水羊羹です。
しかし、何度やっても思うように固まらず難航しました。寒天で固める方法もありますが、90℃程度まで温度をあげなければ溶けない寒天を使うと、ヨーグルトの特長である乳酸菌にダメージを与えてしまいます。そこで、一部牛乳を沸かしたところに寒天を溶かし乳酸菌がもっとも活発になる温度帯までその他の食材の温度を上げます。なるべくその寒天が固まる60度以下になるスピードを抑えた状態でその他の食材を合わせてから一気に素早く冷やし込んで完成させました。
「ただ固めるだけだったら寒天を入れてもいいわけです。だけどそれをしないでやることが、そのヨーグルトの特性を生かすこと。それができないなら普通の羊羹でいいわけです」
一方で試行錯誤をやっていくうちにヨーグルトの価値は乳酸菌だけではないことに気づかされます。とくに驚かされたのが、ヨーグルトの乳脂肪分の低さです。牛乳に比べて酸味とコクがあるのにも関わらず、乳脂肪分は一般的な牛乳がおよそ3.8%なのに比べて一般的なヨーグルトは3.0%と低いことです。牛乳では出せない奥行きとボリュームのある味わいなのに脂肪分が低いということは、ヘルシー志向のガストロノミーの分野でも十分に活用の可能性があります。
「菌ではなく味わいに注目をしてみたり、ヘルシーな食材として注目をしてみたりなど、ヨーグルトはさまざまな側面から見れる食材です。しかし僕は、ヨーグルトに一つの価値しか見えてなかった。ヨーグルトをどの視点で見るかによって、そのノビシロが変わってくる。もちろん他の食材に関してもアプローチが複数あったとしても、こんなに価値が広いものは多分ないような気がします」
「ヨーグルトだけでなく、ほかの食材も同じようにさまざまな側面から見ていくことで可能性が広がると思うようになりました」と、ヨーグルトの出会いが、多面的に食材を見る姿勢を得たことがヨーグルトとの出会いの最大の恩恵だったと大土橋さんはいいます。
縁と出会いが、大土橋さんをつねに新しいステージに導いてきたように、ヨーグルトとの出会いによってクラフタルの新しい料理の扉が開かれはじめています。