クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出などの「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くあります。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「ささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、ヨーグルトの食のプロならではの魅力や意外な使い方を語ってもらいます。
連載第2回は、東京・西麻布の完全紹介制のカウンターレストラン「No Code」のオーナーシェフの米澤文雄さんです。
米澤さんは、No Codeのキッチンに立つだけでなく、日本各地のレストランの監修や企業のメニュー開発のほか、障がい者福祉や持続可能な海洋資源の取り組みなどにも積極的に関わり、厨房に籠って仕事をする従来のシェフ像を刷新する新しい時代の料理人です。自身の肩書も「シェフ+(プラス)」とし、「食」に関わる全てのコトをアップデートするために「シェフ」以上の活動を通じ未来を創造したいという米澤さんを支えるのは、何事も自分の目で確かめてみたいという「興味関心」の心でした。
誰もが止めたニューヨーク行き、料理と英語を学びに旅立つ
「みんなのヨーグルトアカデミー」の皆さんがヨーグルトを広めようと「世界でヨーグルトは、当たり前のように食材として料理に使われているんですよ」とまわりに熱心に話しても、ピンときてもらえない――、そんな経験があるのではないでしょうか。
和食はもちろん、家庭でも身近なフレンチやイタリアンでは、あまり使われてないことや、そもそも中東が発祥とされるヨーグルトは、トルコやレバノンなどの中東や、インド、中国内陸部といった国の料理で使われていて、あまり身近に感じにくいことが原因です。
ほかにヨーグルトを料理に使う国で思い浮かぶのは、アメリカやオーストラリアの料理です。国として歴史が浅く固有の食文化が少ないほか、移民の影響もあり多様な食文化が混在し、近年では、健康志向のほか、ベジタリアンやヴィーガンといった食の嗜好も取り入れているのが特徴です。ヨーグルトだけでなくスパイスやハーブなどを大胆に使い、モダン・アメリカ料理やモダン・オーストラリア料理と呼ばれる新しいムーブメントを巻き起こしています。
そんな注目のムーブメントの発信地、アメリカ・ニューヨークで米澤さんは、22歳から5年間を過ごしました。今でこそ、世界の経済やカルチャーの重要な発信地であるニューヨークに店を出したいという料理人は多くなりましたが、米澤さんが渡米した2002年頃の日本では、料理人の修業先といえばヨーロッパ。そんな時代に、ニューヨークを選んだ米澤さんの先見の明に驚かされます。
「恵比寿の『イル・ボッカローネ』というイタリアンで働いていたので、料理修業に行くなら普通はイタリアなんです。親も含めて周囲はみんな反対してました。だけど僕は、ニューヨークという街に興味があって、英語というコンテンツにすごく興味があったから、とりあえず行った。伝手もなにもなく、住む家も決まっていない。しかも、その時の所持金は30万円。若いって最強ですよね(笑)」
ニューヨークに渡った米澤さんは、日本料理店などで働いた後、「Jean-Georges(ジャン-ジョルジュ)」に入り、フランス人シェフのジャン-ジョルジュ・フォンゲリヒテン氏に出会います。
フォンゲリヒテン氏は、フランス人料理人として自国の有名三つ星店を渡り歩き、アジアのホテルレストランでシェフを務めた後、ニューヨークに出店しました。フレンチの技法を使いながら、スパイスやハーブといったアジアの食材を好んで使う料理スタイルで評価を得ると、初めて創設されたニューヨークのミシュランガイド2015年版で三つ星を獲得し世界的な評価を獲得しました。新時代の美食の街・ニューヨークを象徴する存在です。
世界中に自身のレストランを展開するほか、シェフとして慈善活動などの社会的役割も果たすフォンゲリヒテン氏の姿は、厨房に籠って料理を追求するような日本のシェフ像とは異なるもので、若き米澤さんを大いに刺激しました。
「世界中のものを知っていて、世界中に友だちもいる。ジャン-ジョルジュさんの仕事を見てたら、すごくおもしろそうだなと思っていました。当時は、『同じような人生を歩みたい!』と強く思ってはいませんでしたが、多分うっすら感じてたんでしょうね。今の立場になって、ジャン-ジョルジュさんからの影響が大いにあることを実感しています」
情報が溢れた現在だからこそ実際に自分の目で見て判断したい
まさに「興味関心」が突き動かした、生涯の転機となるニューヨーク行き。1年ほど滞在するつもりだった米澤さんは、「せっかくアメリカにいるのだから、日本人が誰も成し得なかったことをしてから帰国しよう」と考えたといいます。いくつかの店を経験して辿りついたのは高級店で、キッチンスタッフが60人もいる「ジャン-ジョルジュ」で、日本人初のスーシェフ※になることを目標に決め、それを実現させます。
インターネットも黎明期で情報もなく、「とにかく飛び込むしかなかった」という、米澤さんの渡米時代と大きく異なり、インターネットで世界中の情報が得られる現代では、料理人もきっちりとプランニングをしてから海外修業に旅立つことができるようになりました。
「働く環境も今と違うので、僕と同じようなことはできないと思うのですが、情報が多い時代だからこそ、情報だけを鵜呑みにせず、実際に自分の目で見ることを大切にしてほしい」と米澤さんは、伝えたいといいます。
実際、米澤さんもコロナ禍が落ちつき、国外の行き来が可能になると、すぐさまイタリアやフランスのほか、食のシーンで注目されているタイ・バンコクやオーストラリア・シドニーといった国を訪れ、自らの目でその国の食のシーンを見てきました。
「自分で見て足を踏み入れて、その現地の人たちと話して飲んで食べて、お金を払って初めて、その国の文化がわかる」と米澤さん。たとえばオーストラリアは、物価が高くて住むのは大変だと事前に聞いていましたが、現地でレストランをまわったり、マーケットに行ってみると、日本との差はそれほど感じなかったといいます。むしろ気候もよくて治安もいい。事前情報と違い、住みやすそうに感じました。
「情報が正しいのか、間違っているのかというのは、どの視点から考えるかによって変わってくるものだと思います。たとえばある料理人が『これはいい!』って使っている食材も、誰かにとっては扱いにくかったりする。それを判断するのは自分だと思うんです」
米澤さんを支える「興味関心」は、未知のことを知りたいという知的好奇心であるとともに、関心の対象に会ったり、見たり、中に入ったりすることで体験し、その評価を他人に委ねず、自分の価値観で判断したいという主体的な姿勢にも繋がっているのです。
※副料理長を意味するフランス語
ヨーグルトを食材や調味料の一つとして使う中東料理
独立直前にシェフを務めた「The Burn」では、まだまだ日本に少なかったヴィーガン料理を出したほか、障がいをもつ人とその家族が喜ぶ食卓を実現させる取り組みの支援や、持続可能な水産資源の実現に向けた啓もう活動など、米澤さんが自分自身の価値観で判断したいという姿勢は、多くの活動に反映され「シェフ+」という自身の肩書を生みだすこともなりました。
尽きることない「興味関心」は、どこから湧いてくるのでしょうか。米澤さんに聞くと、「僕は、興味関心を膨らませるのが得意なんです」と答えてくれました。
「ジャン-ジョルジュでスーシェフを目指そうと決めてから、どうやったら早く成長できるかと考えていたときに癖づいたもの。若い時は何も知らないから、覚えなきゃいけないことがたくさんあるんです。たくさん覚えるためには、ひとつ覚えたらそこから疑問を生みだして、自分で調べて次の知識を得ていく。一つの問いからいくつもの問いを生みだしていければ、たくさんのことが覚えられるわけです」
その訓練の甲斐があって、興味関心がいたるところに向き、どんどんと新しい世界が広がっていく。そんな膨大な量のインプットをしてきた米澤さんが今、興味関心のある食のテーマは、「中東料理」だといいます。
ニューヨーク・マジソンスクエアガーデン近くにあるレバノン料理店「ilili」がニューヨークのレストランで一番好きという米澤さん。2019年には、イスラエルを訪れて中東の食文化に生で触れると、「辛みと酸味の使い方のほか、高い食材を使わなくてもおいしい料理ができることに料理人として純粋に刺激を受けた」といいます。
さらに中東料理に関心を寄せる大きな理由の一つは、肉や魚といった動物性タンパク質を使うことが少ないことだと米澤さんはいいます。とくに人口増加や資源の枯渇といった未来の食糧事情を考えると「使わなくても料理が作れるなら、それに越したことはない」といいます。
その分、野菜の調理方法は多岐に渡り、とくに中東料理における野菜を加熱することで生まれる味わいや香りの引き出し方の幅は、ヴィーガンやベジタリアンなどの料理を得意にする米澤さんからみても発達していると感じています。
「中東が発祥といわれるヨーグルトも料理に使われていて、水切りしたヨーグルトに塩とスマックという日本の『ゆかり』のような紫蘇のフレーバーのあるスパイスを加えたソースでサラダやグリルした野菜を食べたりします。もちろん肉や魚のソースにも使われることもあって、ヨーグルトを調味料の一つと捉えているのは、印象的でした」
実際に米澤さんは、ヨーグルトをソースに使うことが多いそう。とくに、白胡麻ペーストなどと合わせて中東風に仕立てるのがお気に入りといいます。
水分量によって変わるヨーグルト、野菜料理との相性
「料理人である僕にとって、ヨーグルトに対して興味関心が向かうのは、水分量を変えることによって、まったく違う食材になること」と米澤さん。市販のプレーンヨーグルトも、ペーパーを敷いたザルにあけて放置していくと、水分(ホエイ)が抜けてしっかりとした食感になります。もし水分を抜きすぎたら出たホエイを戻せば口当たりをやわらかく戻すこともできます。さらに水を加えれば飲むヨーグルトにもなる。その変化の幅がおもしろいというのです。
「さらにヨーグルトには、独特な酸味とコクがあります。僕は、とくに酸味を料理で多用するので、お酢の酸味や柑橘の酸味、醤油などの発酵調味料の酸味とも違うヨーグルトの酸味は代替できないもの。いくつかの酸を組み合わせることで、味わいに深みと奥行きを生みだすこともできるので、ヨーグルトは手放せない食材です」
日本では「ヨーグルトを食べる」というように、そのまま主食品としてのイメージが強くありますが、米澤さんがいうように食感を変えてみたり、酸味やコクを活かすなど調味料の一つとして扱うことができれば、ヨーグルトの楽しみ方が広がりそうです。とくに中東料理で感じた野菜にヨーグルトのドレッシングをかけて食べるような提案は、日本人でも受け入れやすいのではないかと米澤さんはいいます。
「そのまま食べて十分おいしい、完成された食品のヨーグルトは、すでに当たり前に生活に根付いていることもあって、爆発的なムーブメントが起きにくいと思います。でも、それはむしろ人類の知恵が詰まった歴史がある食べ物であるということの証。だからこそおもしろさや幅みたいなのはまだまだたくさんあると思います。僕にとっても興味関心が尽きない食材の一つです」