クリエイティブで感動的な料理を生みだすシェフや料理人には、必ず尊敬する人や忘れられない思い出など「ささえる存在」があります。それは、毎朝食べるヨーグルトのように当たり前にあるからこそ、あえてメディアで話さなかったことも多くありそうです。
連載「わたしをささえるもの」では、そんな「ささえる存在」に注目し、シェフや料理人の意外な一面や、人生観・仕事観に触れながら、食のプロならではのヨーグルトの意外な使い方や魅力を語ってもらいます。
連載第14回は、東京・目黒にある「タイ料理みもっと」(以下「みもっと」)のオーナーシェフ、みもっとさんです。料理教室からスタートした「みもっと」は、教室が人気になったことでレストランを開業。現在は、現地で学んだタイ料理をそのまま日本で再現するのではなく、みもっとさんの感性を大事に、日本の食材を大胆に使った新しいタイ料理で人気レストランになっています。
「私をささえてくれる人たちを楽しませるためにも、私がいつでも楽しくいられるようにしたい」という、みもっとさんをささえる存在は「ファン、家族、タイの仲間」だといいます。
ファンと家族が支えてくれたので私らしい活動ができた
みもっとさんは、2011年から駐在員の家族としてタイに1年半ほど暮らしていました。その際に、「マンダリン オリエンタル バンコク」が開催する「オリエンタル タイ クッキング スクール」に1年ほど通い、ホテルシェフから料理を学ぶなど本格的なタイ料理を吸収しました。そして帰国後の2013年に、学んできた料理を教える料理教室「おいしみ研究所」を開きます。
「タイで何をしようかと考えたときに、『タイ料理をつくれたらいいよね』ぐらいの気まぐれで始めたんです。ですので料理人になりたいという強い意志もなくて(笑)。結婚しても仕事が好きで自立心もあったのと、教えることも好きだったので料理教室ならできるかもと思って始めました」
一般的なタイ料理の教室では、たとえば「トムヤムクン」をつくるなら市販のペーストを使うところを、みもっとさんの教室ではペーストは使わず手作り。そんな本格さが人気になりファンを獲得しました。さらに「みもっと先生」という親しみのある愛称と、髪の毛を染めた個性的な風貌もあいまって料理教室だけでなくイベントへ出店などが増えていきます。
やがて「みもっと先生の料理が食べたい!」と出張料理の依頼も増えると「それならレストランを開いたらおもしろいかも」と考え、2019年にオープンさせたのが「タイ料理みもっと」です。
「料理教室に通ってくれただけでなくイベントも手伝ってくれた生徒さんがいて、そのなかには『みもっと』の経理までやってくれるようになった人もいるんです。まわりからはどこか頼りなさそうに見えていたからこそ、『応援したい』『助けてあげたい』とファンのみなさんが助けてくださったんじゃないかな。ファンのみなさんのささえがあって私らしい活動を続けてこれたと思っています」
そしてファンとともに最大の理解者が夫だといいます。そもそもタイに行くことになったのも夫が駐在員として赴任することになったから。その後、料理教室を開いたときだけでなくレストランを開業するときも「好きなようにしたらいい」とみもっとさんの決断を尊重しました。
「何も言わないですが、聞けば答える人。たまに『「みもっと」をどうしていこうかな』と相談をすると『それなら課題は何で、それを解決するためには何をしなければいけないのか』と、まっとうな意見もくれます。私は『はい、わかりました』という感じ(笑)。そんな夫です」



誰もいない場所で奮闘する孤独、タイで出会った同志たち
「タイ料理みもっと」のスペシャリテに鶏肉とハーブなどをゆっくり蒸しあげたタイ古典料理の「トムガーガイボーラン」があります。これを「みもっと」では、鳥取県の銘柄鶏「大山鶏」を使い、唐辛子やシャロット、ガーリックなどを甘辛く煮詰 めたチリジャムを添えて提供されます。この大山鶏が、時には白子になることも。古典料理をそのまま作るのではなく、日本の食材を大胆につかって伝統料理を再解釈していくスタイルが「みもっと」の料理の特徴です。
「日本人の私にしかできないことをタイ料理でやりたい。そう思うようになったのは、タイで出会った仲間たちの影響でもあります。彼・彼女たちは、私と同じように外国人としてタイに来て、タイ料理を自分たちのフィルターを通して表現している料理人たちです」
コロナ禍が終わり海外への行き来ができるようになると、みもっとさんは、積極的にタイの首都バンコクに出かけ、現地のレストランをまわり始めます。そのひとつに、レストラン「Bo.lan(ボー・ラン)」があります。
「Bo.lan」は、シェフでタイ人のドゥアンポーン・ボー・ソンヴィサヴァ氏と彼女のパートナーであるオーストラリア人のディラン・ジョーンズ氏が夫婦で経営するレストランです。2023年9月に京都駅近くにオープンしたホテル「デュシタニ京都」のメインダイニング「Ayatana(アヤタナ)」の監修もしています。
タイの古典的な料理を大切にしながらも、外国人としてタイの文化を見つめる視線や、タイと世界の料理を繋げて捉える姿勢は、日本の食材をつかって日本人の感性を取り入れたタイ料理を目指すみもっとさんのスタイルに共鳴することが多くありました。さらにみもっとさんが2023年に京都・鞍馬口駅からすぐの場所に旗艦店の「MOT(モット)」を出したこともあり、親交を深めていきます。
「日本の食材で作るタイ料理ってどんなんだろうってディスカッションしたりするんですよ。日本では他にやってる人なんか誰もいないから。そういう意味ではすごく孤独。話すうちに、二人のなかにも同じような気持ちがお互いのなかにあることに気づくんです。それがすごくうれしかったんです」
ほかにもタイ料理と他国の料理を融合させた料理を作るスペイン人シェフとは、みもっとさんが日本料理とタイ料理をミックスさせようと試行錯誤していた時期に知り合い、大いに刺激を与えあった同志だといいます。
「日本では、今も『創作タイ料理』と揶揄されることがあります。作り方やロジックは完全にタイの古典料理で、食材だけを日本産にしてきたのが今までの私のやり方なので、創作ではないのですが。一方でタイの仲間たちと話すうちに、食材を置き換えるだけでは、世界的に見て弱いと感じました。みんなは、それぞれのルーツのなかでタイ料理で遊んでるところがあるんですよね。私も、その流れに乗れるはずだと思うので、今はすこし崩してやってみようと思うようになりました」



未知の食材ヨーグルトの出会いから生まれた「酸っぱいステーキ」
タイ料理で使うことがないヨーグルトとの出会いは、フレンチシェフ、イタリアンシェフとともに、食材としてのヨーグルトの特徴を学ぶほか、食べ合わせの実験や料理開発を行うプロジェクトに参加したことがきっかけです。未知の食材を扱うことは、新鮮な発見の連続だったとみもっとさんはいいます。
「タイ料理のなかでヨーグルトを使うとして、たとえばココナッツミルクの替わりに使っても『代用する意味があるの?』となってしまうんですよね。いろいろと考えた末、発酵食品として取り入れるのがベストだと思って取り組みました」
このプロジェクトへの参加がきっかけで生まれた料理に、牛のステーキがあります。タイ東北地方の「ネーム」という乳酸発酵させた豚ひき肉の料理から着想を得たもので、牛モモ肉の塊を塩漬けにし、炊いた米とヨーグルトで発酵。発酵後、切り出して焼いて食べる、酸っぱい牛モモ肉のステーキです。
「乳酸菌の塊みたいなヨーグルトを使う方が、発酵速度も早いですし、腐りにくい。失敗しづらい方法でもあります。滋賀県の郷土料理『鮒寿司』にも似ているので京都の『MOT』のメニューとして開発したんです。この酸っぱいステーキが好評で、一時期『みもっと』のコースにも入れていたほどです」とみもっとさん。未知の食材との出会いが新しいタイ料理を生みだしたのです。
ファンや家族、そしてタイの仲間たちに支えを受けながら活動を続けるみもっとさんは。「私自身が楽しみながらやりたいことをやり続けること」が、その支えへの恩返しになるといいます。
「私が楽しんでやっていることを見て、それをおもしろがってくれるのが私をささえてくれる人たちなのだと思っています。私も、私と関わったら楽しいと思ってもらいたい。そのためには、私自身が一番楽しんでいないといけない。今は、東京と京都を行き来しながら料理を考えたり、遠隔からのスタッフの教育、コースのレベルアップにともない価格もあげたことも含めて新しいチャレンジの連続です。大変なこともあるけど、もう一度おもしろいと思ってもらえる『みもっと先生』になりたいですね」
次のステージを目指すみもっとさんを、長らく支えてきたファンや家族、タイの仲間とともに、ヨーグルトがほんの少しでも挑戦をささえる存在になれたなら、こんなにうれしいことはありません。
