わたしとモンゴルとの出会いは、8年前に都内の保育園調理師からウランバートルの日本大使公邸料理人へ転身したことにはじまる。
以降、モンゴルの面白さ、日本にはないもの尽くしに魅入られて、今ではすっかりモンゴルに入り浸っている。近年では、お肉と小麦文化のモンゴルで、野菜を通して健康情報を広めたいと料理本を出版。人生の不思議を感じずにはいられない。

ところで、みなさまは遊牧の国モンゴルというとお肉を連想されるかもしれないが、実は発酵乳王国でもあることをお伝えしたい。
モンゴルでは、乳製品は“白い食べもの”と呼ばれており、草萌える夏は、乳製品を主食として過ごしてきた歴史がある。夏の生乳は容易に腐ってしまうが、発酵という神に出会うことで人々の命と健康を支えてきたわけだ。
また、この国ではお肉や毛皮はもちろん重要だが、家畜たちのお乳をとりわけ大切にしてきた。なぜならお乳の白は命のしるし。邪を払う清らかなものであり、まるで日本の塩やお神酒のようにも扱われる。
例えば、新車のタイヤにミルクをかけるなんてびっくりな習慣もモンゴルならでは。2025年7月に天皇皇后両陛下がお越しの際には、アーロールという乾燥ヨーグルトでお出迎え、それがこの国の伝統なのだ。

ウランバートルの市場から見えるモンゴルの発酵乳事情
モンゴルにきた当初、首都・ウランバートルの市場で見る乳製品の充実ぶりに圧倒された。売り場にはさまざま形状の乳製品があり、ドライなものからウェットなものまで所狭しと並んでいる。
しかし、種類が多いからといって、お値段は安くない。何故なら極寒を生き延びることができる品種の牛の乳量は決して多くはないからだ。牛の栄養源のほとんどは、牛が自力で食む草のみ。乳が多く出るよう、餌を管理されているわけではない。遊牧で牛を飼うから搾乳は昔からの手絞りが主流で、仔牛の飲んでスクスク大きく育つ分量を残していただくのがお約束!
また、そうした訳で牛肉の値段が安い割に、牛乳は日本とそう変わらないお値段。

また、ウランバートルの街中で最も見かけるお乳の加工品は、牛乳から作ったヨーグルトやサワークリームだ。
しかし日本とは少し様子が違う。ヨーグルトは食べものというより飲みものであり、さっぱりとした風味のものが多い。なぜなら、モンゴルのヨーグルトは、ミルクからウルム(牛乳湯葉みたいなもの)やクリームを取った低脂肪乳から作ることが多いからだ。また習慣として、口にすると眠気を誘うからと、朝より夜寝る前に飲むというのも面白い。
かたやサワークリームは、濃厚な乳固形分が多い食べもの系だ。こちらはパンに乗せて食べることが多く、ロシアからモンゴルに入ってきたボルシチなど、スープ料理にいれる場合もある。
また、面白いもので、首都を離れると乳製品の原料が牛乳とは限らなくなる。ラクダやヤクのお乳、山羊のお乳でできたものもあるし、馬乳酒だけでなく、過発酵させたヨーグルトを蒸留したウォッカなんかもある。その向こうには、さまざまな家畜と生きてきた草原の暮らしが透けて見える。

アルハンガイで食べた、忘れられないヤクのヨーグルト
ヨーグルトといえば、忘れられない味がある。それはモンゴル中部に位置するアルハンガイの料理人仲間の親戚宅でご馳走になったヤクのヨーグルト。そのままの原乳を加熱した種菌入りミルクが、ゲル(移動式住居)の片隅に放置されていた。
ヤクはチベットなんかにいる山間部を好むゴツい毛むくじゃらの牛の仲間。お肉は硬いが、お乳が何とも深い滋味を持つ家畜だ。

そんなヤクを追いかけてさんざん遊んだ夕暮れ時、バケツ一杯のヨーグルトの上部を掬ってくれたのをパクリ。
これが最高!これぞ舌だけでなく体中がよろこぶ発酵食品、童心に戻り、口中を唾液で満たしながらうっとりと溺れた。濃密な余韻に思わず深いため息が漏れる。こんなお乳を飲めるなんて、あぁヤクの子どもが羨ましい……。

食べ終わると、主人たちは器にトロリと残ったヨーグルトを舌で綺麗に舐め取った。それは見事な作法であった。器を洗う為に使うわずかな水をも汚さない、草原には草原の知恵とルールがあるのだ。
つぶさに見れば、伝統的な木と金属を貼り合わせた少し浅くて口の広がった椀は、デール(民族衣装)の懐に入れて馬に乗っても邪魔にもならないが、ペロッとやっても見事に顎に付かない大きさであり形だった。それにしても、人の舌は意外に長く器用なんだなぁというのは不思議な発見だった。
モンゴルはいつもわたしに土地の最適の解、それが文化なのだと教えてくれる。その一粒の食文化の綺羅星に、好奇心が止まらない。いつかおいでませお乳の国モンゴルへ。ここにしかない何かを味わいに。


